所得税㊷「租税法律主義」以降は、所得税法を離れて租税法全体の話を見てきました。
その中で「租税法律主義」や「租税公平主義」などの憲法原則を確認しました。
しかしこの記事を読むにあたって、一旦「租税法律主義」や「租税公平主義」の概念を横において、普通の一般的、常識な感覚に立ち返って頂ければと思います。
話が進むにつれ「租税法律主義」や「租税公平主義」の話はすぐに出てきますが、一旦これらを脇において読み始めて頂ければと思います。
租税法の文言に対する2つの考え方
✔例題
まずは例題を出すので、2つの考え方のうち、どちらがしっくりくるか考えてみて下さい。
例題
令和〇年に「ネコ税」が制定されました。この租税法は「販売目的以外でネコを所有する者に対して課税する」という法律です。つまり「ネコをペットとして飼っている人に課税する」ということです。
その趣旨は「実用にならない高価なネコを『癒し』目的で飼育することは贅沢なので、そのような贅沢ができる人は担税力が高いから課税する」という考え方によるものです。
しかし、イヌを「癒し」目的で飼う人もいるし、その他の動物(爬虫類など)を「癒し」目的で飼う人もいます。
それでは「ネコ税」が制定された場合、
① 法律の文言どおり、ネコを飼う人だけにネコ税を課税するべき
なのか、それとも
② 法律の文言を柔軟に解釈して、ネコを飼う人だけでなく、犬や爬虫類を飼う人にも課税するべき
なのか。
✔①と②のメリット、デメリット
①と②のメリット、デメリットを考えてみます。
① 法律の文言どおり、ネコを飼う人だけにネコ税を課税するべき
メリット・・・ネコ以外をペットとして飼う人にネコ税は課されないので、ネコ以外をペットで飼う人は「自分にもネコ税が課されるの?」と心配する必要がない。
デメリット・・・ネコをペットとして飼う人からすれば「なんで自分達だけ課税されて、犬とか他のペットを飼う人には課税されないの?」と不満に思う。
② 法律の文言を柔軟に解釈して、ネコを飼う人だけでなく、犬や爬虫類を飼う人にも課税するべき
メリット・・・ネコを飼う人だけでなく、他の動物を飼う人にも課税されるから、税金上公平である。
デメリット・・・ネコ以外をペットで飼う人は「ネコ税はネコを飼う人にしか課税されないよね?」と思っていたら、イヌを飼う自分にも課税されることになり「課税されるなんて予想もしてなかった、不意打ちでしょ?」という不満が生じる。
そして租税法を適用する多くの場面において「①なのか②なのか」という問題が発生するため、この問題について答えを示しておく必要があります。
通説の立場
①「法律の文言どおり、ネコを飼う人だけにネコ税を課税すべき」(法律の文言を厳格に解釈すべき)なのか、それとも②「法律の文言を柔軟に解釈して、ネコを飼う人だけでなく、犬や爬虫類を飼う人にも課税すべき」(法律の文言を柔軟に解釈すべき)なのかという問題は、学者の間で研究がなされ、昭和50年代以降にその答えは出ています。
通説は①の立場です。すなわち「租税法は文言どおり、厳格に解釈すべき」という立場です。
その理由は以下の2つです。
(ア)租税は国民の財産権を侵害するので、納税者の予測可能性を確保することが重要だからです。すなわち、先ほどの例でイヌを飼っている人に「ネコ税」を課することは、不意打ち課税であり、納税者の予測可能性を確保できていないのです。
(イ)租税法は国民が国会議員を通じて国会で立法します。そのような租税法は国民に受容されますが、その租税法の文言を超えて課税すると、それは国会で立法されていない租税法に基づいて課税されることと同義であり「課税要件法定主義」(租税法は国会で立法しなければならない)に違反するからです。
この(イ)を先ほどの例で説明すると、国会で立法したのは「ネコ税」であり「ネコ税」に基づいてイヌを飼う人にも課税すると「イヌ税」を国会で立法していないのに、イヌを飼う人に国会で立法されていない「イヌ税」が課されることになり「課税要件法定主義」(租税法は国会で立法しなければならない)に違反するのです。
判例の立場
判例は長らく①と②のいずれの立場なのか不明確でした。しかし、平成20年前後から①の立場(租税法は文言どおり、厳格に解釈すべき)に立つことが明確になってきました。
ところで判例は「租税法の文言」について、以下のような見解を示しています。
租税法の文言
租税法の文言は色々な言葉が使われています。その文言の性質は以下のように分類できます。
ア 他の法分野で意味内容が確立した用語を租税法で用いている場合(これを「借用概念」と言います。たとえば、民法における「住所」という文言を所得税法で用いる場合。)
イ 他の法分野では用いておらず、租税法が独自に用いている文言(これを「固有概念」と言います。たとえば、所得税法における「所得」という文言。)
ウ 租税法の中で用いている文言で、その文言が日本語として「熟した」もの(たとえば、所得税法で用いる「期間」という文言は「その初めから終わりまでずっと」という普通の日本語として熟成している。)
エ 租税法の中で用いている文言で、その文言が日本語として「熟していない」もの(たとえば、軽油引取税で用いる「炭化水素油」という文言は、普通の日本語として熟成していない。)
アの文言は、他の法分野で意味内容が確立しているなら、その確立した意味内容で租税法においても用いられなければならないとしています。
イの文言は、その租税法の趣旨・目的に照らして租税法独自の見地からその意味内容を決めるべきであるとされています。
ウの文言は、日本語としてその意味内容が世間一般に熟知されており、そのままの意味内容であるべきとされています。
エの文言は、日本語としてその意味内容が世間一般に熟知されておらず、イの文言と同じく、その租税法の趣旨・目的に照らして租税法独自の見地からその意味内容を決めるべきであるとされています。
判例は「租税法の文言」をこのように解釈していますが、要は「租税法で用いる文言は複数の解釈の余地を残すのではなく、ある一つの意味内容に限定されるべきだ」という基本姿勢があるということです。
この判例の基本姿勢は「租税法は文言どおり、厳格に解釈すべき」という立場であり、通説と同じ①の立場であると言えます。
租税法の文言解釈が争われた判例
実際に租税法の文言解釈が争われた判例をいくつか紹介します。
ホステス報酬事件判決(最判平成22年3月2日)
この事件では所得税法施行令322条の「期間」という文言の解釈が争われました。
判例文(抜粋)
「一般に、『期間』とは、ある時点から他の時点までの時間的隔たりといった、時的連続性を持った概念であると解されているから、(所得税法)施行令322条にいう『当該支払金額の計算期間』も、当該支払金額の計算の基礎となった期間の初日から末日までという時的連続性を持った概念であると解するのが自然であ(る)」。
つまり、この判例は所得税法施行令322条に規定されている「期間」という言葉を、一般の日本語の意味内容(その初めから終わりまでずっと)で解するべきであると言っているのです。そして同時に、施行令で使われている「期間」とは「その初めから終わりまでずっと」という一つの意味しかない(厳格解釈をしている)ということも示しています。
ガイアックス事件判決(最判平成18年6月19日)
この事件では軽油引取税に規定されている「炭化水素油」という文言の解釈が争われました。
概要
道路は自動車を走らせることで徐々に痛むため、それを直すため、自動車を走行させる人に道路関係の費用を負担させる租税がいくつかあり、そのひとつに「軽油引取税」があります。この税は軽油の他に「炭化水素油」も課税対象にしていました。この「炭化水素油」は法令で「炭化水素とその他の物との混合物」と定義されていたのですが、技術の進歩により「炭化水素が全体の3分の1から半分弱しか含まれていない燃料」(商品名ガイアックス)が発明されました。そこでこのガイアックスが法令の「炭化水素油」に含まれるかが問題となりました。
判例はこの「炭化水素油」を「広く炭化水素とその他の物質とを混合した物質を言うものと解するのが相当」とし、ガイアックスも「炭化水素油」にあたるとしました。
つまり、軽油引取税に規定されている「炭化水素油」という言葉は一般の日本語としてなじみのない文言であるので、この判例は文言の意味を制度の趣旨や目的から導いているのです。そして「炭化水素油」という文言の意味内容が確立したら「炭化水素油」をその意味内容で厳格に解釈すべきとしているのです。
租税法の文言解釈が争われた判例の結末
租税法の文言解釈が争われた事件として、上の「ホステス報酬事件判決」や「ガイアックス事件判決」の他に「武富士事件(最判平成23年2月18日)」や「堺市溜池跡地事件判決(最判平成27年7月17日)」「不動産取得税特例不適用事件判決(最判平成28年12月19日)」があります。
これらの事案について、最高裁は「その事案について妥当な結論を導くよりも、租税法の文言を厳格解釈することを重視」しています。
別の言い方をすると「租税法の文言どおりに事案を解釈すると、不当な結果(一般的な感覚で、裁判で負けるべき人が勝ち、勝つべき人が負けること)を招いてしまうなら、それは致し方なし」としているということです。
「租税法の文言どおり事案を解釈すると不当な結果を招いてしまうときは、妥当な結論を導くための法解釈をするのではなく、租税法そのものを改正して妥当な結論を導けるようにすべき」というのが最高裁の態度です。
そのような最高裁の態度は武富士事件判決で現れています。
武富士事件判決(最判平成23年2月18日)
「このような方法による贈与税回避を容認することが適当でないというのであれば、法の解釈では限界があるので、そのような事態に対応できるような立法によって対処すべきものである。」
つまり「租税法の文言どおりに武富士事件を解釈すると、贈与税を回避させてしまうという不当な結果を招いてしまうが、それを防ぎたければ租税法を改正して妥当な結論を導くことができるようにすべき」と判決しているのです。
武富士事件判決は、不当な結論(贈与税回避を見逃してしまう)を受け入れてまで「租税法の厳格な文言解釈」を重視しているということです。
判例が示した租税法の厳格解釈の例外
判例の基本姿勢は「租税法は文言どおり、厳格に解釈すべき」というものです。
しかし、租税法を文言どおり解釈すると、制度趣旨や目的を没却してしまう場合は、例外的に「租税法の文言を柔軟に解釈する」ことも行われています。
その例が税理士隠ぺい仮装重加算税賦課適法事件判決(最判平成18年4月20日)です。
国税通則法68条1項は「納税者が・・・事実の全部又は一部を隠蔽し、又は仮装し・・・納税申告書を提出したとき、重加算税が賦課される」と規定しており、行為の主体は明確に「納税者」としていますが、この納税者には申告の委任を受けた税理士が含まれると判決した事件です。
税理士隠ぺい仮装重加算税賦課適法事件判決(最判平成18年4月20日)
国税通則法68条1項は、「『納税者が・・・隠ぺいし、又は仮装し』と規定し、隠ぺいし、又は仮装する行為(以下『隠ぺい仮装行為』という。)の主体を納税者としているのであって、本来的には、納税者自身による隠ぺい仮装行為の防止を企図したものであると解される。しかし、納税者以外の者が隠ぺい仮装行為を行った場合であっても、それが納税者本人の行為と同視することができるときには、形式的にそれが納税者自身の行為でないというだけで重加算税の賦課が許されないとすると、重加算税制度の趣旨及び目的を没却することになる。」
通達の文言も厳格解釈されるべきか否か
✔通達の位置付け
通達は上級行政庁(例、国税庁長官)が下級行政庁(例、税務署長)に対して発した内部の命令であり、法律ではなく国民や裁判所に対して拘束力は持ちません。
かみ砕いて言うと、通達は租税法をどのように解釈すべきかを示した国税庁の見解であり、いわば「租税法の取扱説明書」みたいなものです。
このように通達は法律ではなく「租税法の取扱い説明書」のようなものであるため、通達が法律の定めより重い課税を課すことはできず、そして法律の定めより軽い課税を課すことも当然にできません。
通達に許されるのは、たとえばある法律の条文について複数の合理的な解釈があり得る場合に国税庁が採用する解釈を示したり、ある条文の要件に当てはまる具体例を挙げて分かり易く説明することなどに限られます。
そして、通達は税務署長に対する命令であり、税務署長が通達に背くことはまずありえないため、現実の税務執行において、納税者は通達に従った全国一律の扱いを受けることになるため、通達は納税者を公平に扱うという点で重要な役割を果たしていると言えます。
✔通達の文言も厳格解釈されるべきか否か
租税法の文言は、通説も判例も原則として「厳格解釈すべき」としています。それでは通達の文言も「厳格解釈すべき」でしょうか。
結論から言うと、最高裁判決の補足意見で宮崎裕子裁判官が「文理解釈(厳格解釈)が通達の重要な解釈原則であるとはいえない」と述べています。
宮崎裕子裁判官はこの補足意見で何を言っていたのかというと「たとえ通達の文言を文理解釈したとしても、その結果が法律違反になっているのであるなら、通達の文理解釈に従った取扱いを理由として適法と認めることはできない」と言っているのです。つまり通達の文理解釈に従った取扱いをしても違法となる場合があるということです。
✔通達との向き合い方
課税実務では基本的に通達を信頼して通達を文理解釈することが一番間違いはないと思われます(増額更正処分などを受けないという意味で)。
しかし、場合によっては通達に従った取扱いが法律違反になる可能性もゼロではないということを認識しておくべきかもしれません。
課税実務において通達を参考にするときに、何か違和感を感じたのであるなら、法律の方をチェックして法律違反になっていないかを確認することも必要かもしれません。
終わりに
今回は、租税法の文言についての2つの考え方を見てきました。ひとつは「租税法の文言は厳格解釈すべき」というもの、もうひとつは「租税法の文言は柔軟に解釈すべき」というものでした。
そして、通説も判例も基本的に「租税法の文言は厳格解釈すべき」という立場に立っています。
したがって租税法を見るときは、原則としてその文言どおりに解釈すれば基本的に間違いはないと思われます。そして租税法の「取扱説明書」ともいえる通達も基本的には文言どおりに解釈するのが一番安全だと思われます(増額更正処分を受けないという意味で)。